次へ トップ ホーム 前へ
====================================
日々通信 いまを生きる 第5号 2001年10月10日 伊豆利彦
====================================
ついに武力行使が始まった。不安と悲しみにとらわれる。
早速、通信を出したいと思ったが、10月8日は神奈川平和委員会の定期大会だっ
た。
私は、いま始まった戦争に対して、かつてない新しい運動を展開するよう訴えた。
あらゆる思想的立場をこえた結集を実現しなければならない。また、インターネッ
トが開く新しい運動を展開しなければならない。
私の内部には、いま、さまざまな思いが渦巻いているが、それを、この通信で少し
ずつ明らかにして行きたい。
昨日と今日、つづけて病院に行った。私に新しい世界を開いてくれる病気について
も語りたいことがあるが、これからの仕事にしたい。
また昨日の夜は、生活を守る浦賀地域の会に出席した。この会も私に新しい世界を
開いてくれる会であるが、それについても、これからこの通信で少しずつ明らかにし
て行きたい。
こんなわけで、武力行使がはじまってすぐ出したいと思った通信が遅れてしまっ
た。なんとか早く出したいと思って、あわただしく製作したため、粗雑なものになっ
たが、お許し願いたい。
いま私たちが直面しているのは、<文明とは何か>ということであり、一つの文明
の終焉ということである。
これは、既に第一次大戦当時から、深刻に自覚されて来た問題である。しかし、い
ま、私たちは私たちが直面する現実の問題として、この問題と向き合わされている。
この現実とまともに取り組むことから、新しい未来の可能性を探りたい。
<漱石の言葉>としては、このごろ、絶えず私の脳中を去来する『虞美人草』の甲
野さんの言葉を採録した。
これは長編作家として出発する漱石が、自分の思想と文学の出発点の問題として書
き記した言葉である。
私もまた、この言葉から出発したい。
皆さんと一緒に考えたい。お世辞でない感想や意見を送っていただければありがた
い。それらによって、この通信を豊にしたい。
なお、忠告してくださる方があって、テキスト形式にした。
****************************************************************************
◆◇ついに武力行使がはじまった◆◇
****************************************************************************
避けるべき悲劇は避けることが出来なかった。アメリカはついに武力行使に突入し
てしまった。
これまではテロではあっても、戦争ではなかったが、このテロを根絶すると称し
て、アメリカは戦争を始めたのだ。
しかし、これがテロを根絶することになると信ずるものはないだろう。米政府自体
もますますテロが激化することを恐れているのではないか。
ビンラディンの所在も明らかでない。タリバーンを撃滅するといっても、元来がゲ
リラ的闘争を主体とする彼らを爆撃で撃滅することは出来ない。
彼らの国土を破壊し、人民を殺傷する軍隊を、彼らはますます憎み、米英を悪魔と
する彼らの教義の正しさをますます確信するだろう。「聖戦」のために死を恐れない
覚悟をますます強めるだろう。
彼らを撃滅するためには、地上戦によらなければならぬ。そして超近代的装備に身
をかためた特殊部隊の派遣が問題になっている。さらに、北部同盟など、反タリバー
ン勢力に対する強力な支援がおこなわれ、アフガン人の血でアフガン人の血を洗わせ
ようとしいる。
それはこれまでアメリカが取りつづけ、失敗しつづけたことではなかったか。イラ
ンに対してイラクを戦わせた。ソ連に対してビンラディンやタリバーンを支援した。
そして、その結果はわれわれが知るとおりである。
それはただ、限りない内戦の泥沼にアフガンの国土をひきこんで行く。そして、犠
牲になるのは、既に長い内戦の犠牲になって来たアフガン人民である。彼らはすでに
十分苦しみ、多数の難民となって、国内外をさまよっている。
爆撃の目標は厳密に軍事施設に限られているというが、しかし、現に国連のNGO
施設が誤爆され、四名の死者と四名の負傷者を出しているというではないか。民間人
二十名の犠牲が出たという報道もある。
しかも、もしたとえ、タリバーンが撃滅され、ビンラディンが抹殺されたとして
も、テロが終るとは思えない。それはアメリカ政府がよく知っていることである。
現に、この武力行使はカシミールをはじめとする諸国に、大きな反対運動の波をよ
び起した。アラブ諸国はいうまでもなく、インドネシアやフィリッピンでも激しいデ
モが起った。
この武力行使は、テロに反対する世界の国々の結集に分裂と対立をもちこんだだけ
でなく、それぞれの国の内部に分裂と対立をよびおこしている。それはやがて、アメ
リカ内部をも大きく揺り動かすことになるだろう。
開戦を迎えたアメリカ国民の表情は、あの湾岸戦争の時とは全然違っていたのでは
ないか。反米運動の高揚と対照的に、アメリカ国民の心は、暗く重く、沈み込んでい
るのではないだろうか。
株価も低落の一途を辿っている。そこにこの戦争の未来を悲観する経済の現実を見
ることができるだろう。
それでも、彼らはこの愚劣で、悲惨な戦争を始めなければならなかった。そこに現
代の「文明」が直面する問題がある。
彼らはテロを「文明の敵」と呼ぶ。それは、たしかに否定出来ないが、しかし、同
時に、私たちに、「文明」とは何かという問題を突きつけている。
************************************************************************
◆◇漱石の言葉 『虞美人草』より ◆◇
***********************************************************************
悲劇は遂に来た。来るべき悲劇はとうから預想していた。預想した悲劇を、為すが
ままの発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能な
るを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。悲劇の偉大なる勢力を味わ
わしめて、三世に跨がる業を根柢から洗わんが為である。不親切な為ではない。隻手
を挙ぐれば隻手を失い、一目を揺かせば一目を眇す。手と目とを害うて、しかも第二
者の業は依然として変らぬ。のみか時々に刻々に深くなる。手を袖に、眼を閉ずるは
恐るるのではない。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、石火の一拶に
本来の面目に逢着せしむるの微意に外ならぬ。
悲劇は喜劇より偉大である。これを説明して死は万障を封ずるが故に偉大だと云う
ものがある。取り返しが付かぬ運命の底に陥て、出て来ぬから偉大だと云うのは、流
るる水が逝いて帰らぬ故に偉大だと云うと一般である。運命は単に最終結を告ぐるが
為にのみ偉大にはならぬ。忽然として生を変じて死となすが故に偉大なのである。忘
れたる死を不用意の際に点出するから偉大なのである。巫山戯たるものが急に襟を正
すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更の如く感ずるから偉大なのであ
る。人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏に樹立するが故に偉大なのである。道
義の運行は悲劇に際会して始めて渋滞せざるが故に偉大なのである。道義の実践はこ
れを人に望む事切なるにも拘わらず、われの尤も難しとする所である。悲劇は個人を
してこの実践を敢てせしむるが為に偉大である。道義の実践は他人に尤も便宜にし
て、自己に尤も不利益である。人々力をここに致すとき、一般の幸福を促がして、社
会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。
死を忘るるものは贅沢になる。一浮も生中である。一沈も生中である。一挙手も一
投足も悉く生中にあるが故に、如何に踴るも、如何に狂うも、如何に巫山戯るも、大
丈夫生中を出ずる気遣なしと思う。贅沢は高じて大胆となる。大胆は道義を蹂躙して
大自在に跳梁する。
道義に重を置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。
巫山戯る。騒ぐ。欺く。嘲弄する。馬鹿にする。踏む。蹴る。――悉く万人が喜劇よ
り受くる快楽である。この快楽は生に向って進むに従って分化発展するが故に――こ
の快楽は道義を犠牲にして始めて享受し得るが故に――喜劇の進歩は底止する所を知
らずして、道義の観念は日を追うて下る。
道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇
は突然として起る。ここに於て万人の眼は悉く自己の出立点に向う。始めて生の隣に
死が住む事を知る。妄りに踴り狂うとき、人をして生の境を踏み外して、死の圜内に
入らしむる事を知る。人もわれも尤も忌み嫌える死は、遂に忘る可からざる永劫の陥
穽なる事を知る。陥穽の周囲に朽ちかかる道義の縄は妄りに飛び超ゆべからざるを知
る。縄は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なる事を知る。而
して始めて悲劇の偉大なるを悟る。……
次へ トップ