プロレタリア文学 存在と意味 トップ 次へ ホーム
１
一九四五年八月の敗戦にいたる昭和の二十年間は、近代日本の歴史でもまた格別な時代であった。それは戦争の二十年であり、言論、思想、文化に対する言語に絶する弾圧の二十年であった。国民を破滅にいたるまで戦争に駆りたてるためには、国民を真実から遠ざけ、盲目にする必要があった。戦争の拡大と弾圧の強化はあい呼応しており、この現実に対してどのような態度を取るかは、この時代の文学にとって決定的な意味を持っていた。
現実を歪曲し、戦争を美化して、戦争に協力するか。どこまでも真実を追求し、戦争に反対して、徹底した戦いの道を歩くか。苛酷な現実に敗北し、押し流される人間の解体と退廃、その虚無と絶望を美化し、芸術の名において救済するか。それとも、この苦難の時代にあって、屈折と紆余曲折を余儀なくされながらも、なんとか人間らしさを貫こうとして、ねばり強く戦い続けるか。しかし、すべてを戦争に動員しようとする天皇制国家権力の手によって、第一の道を除くすべての文学的営みは、圧し潰され、破壊された。この事実は、政治と文学の問題がこの時代において、もっとも本質的な文学の問題であったことを示している。
この時代に徹底して戦争に反対する戦いを推し進め、そのことによって急激に文学世界を拡大したのは、いうまでもなくプロレタリア文学の運動であった。現実から目をそらしたり、逃避したりするところに文学の発展はない。恐れる事なく現実を直視し、人間の自由と解放のために、真実の表現のために、これを阻む現実と力を尽くして戦うとき、現実は始めてその隠された相貌を現し出す。戦争の時代の現実は、このプロレタリア文学の戦いを通して、始めてその真実の姿がとらえられ、描き出され、現在に伝えられた。『プロレタリア文学 作品集』四十一巻の完結によって、ほぼその全貌を展望することが出来るようになった現在、あらためてそれを
痛感する。
小林多喜二の『一九二八年三月十五日』や『党生活者』は、天皇制国家権力の残酷な拷問の実態をなまなましく描き出し、あらゆる弾圧に抗して不屈に戦う前衛の戦いを描いている。しかし、プロレタリア文学の文学的意味は、このような階級闘争の前衛の英雄的な闘争を描いた点にのみあるのではない。
プロレタリア文学運動は、労働者の中から新しい書き手を続々と登場させ、労働者農民の生活の現実を､ もっとも深い所から多面的に描き出した。これまで労働者農民の悲惨な生活の現実は、文学の対象として外部から描かれることはあっても、労働者農民自身の言葉で、その内部から描き出されることはなかった。プロレタリア文学運動は、日本の現実を、これまでになかった新しい光で照らし出し、新しい文学世界を切り開いたのである。
労働者は文学の主体として、自分達の言葉で自分達の生活を描き始めた。この転換をもたらしたのは、資本主義の発展による労働者階級の成長であり、労働者階級の内部に目覚めた人間としての自覚である。
『海に生くる人々』など、プロレタリア文学の初期の作品の特徴は、自分だって人間だという人間としての強烈な自覚であり、自己主張であった。この人間としての自覚はただちに、自分達を人間扱いしない支配階級に対する反感となり、反抗となった。
それはまた、共通の運命にある仲間達に対する連帯の感情となり、階級的感情、階級的意識として発展した。個人の人間的自覚がただちに社会的自覚になり、階級的自覚に発展する所に労働者階級の特質がある。
葉山嘉樹は「淫売婦」で、生きるために我身を売らねばならなかった不幸な女が、さんざん搾り取られ、搾りかすにされて、瀕死の状態で横たわっているのを目撃した若い船員の激しい怒りを描いている。こんなになっても全裸にして、搾取材料にしている奴は「たたき壊してやろう」と思う。しかし、彼女は長い坑夫の生活でよろけになった三人の男たちに助けられていたである。
「病気なのはあの女ばかりじゃないんだ。皆が病気なんだ。そして皆が搾られた粕なんだ。俺達あみんな働き過ぎたんだ。俺達あ食うために働いたんだが、その働きは大急ぎで自分の命をすり減らしちゃったんだ。あの女は肺結核の子宮癌で、俺はご覧のとおりのヨロケさ」
と「私｣を案内した男は言う。そして、 「俺達が何故死んじまわないんだろうと不思議に思うだろうな。穴蔵の中で蛆虫みたいに生きているのはつまらないと思うだろう」と言う。
「私」は恐ろしい事実に打ちのめされた｡｢私は淫売婦の代わりに殉教者を見た。彼女は、被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた」
と、作者は書いている。プロレタリアは生きるためには我身を売り、命をすりへらさなければならぬ。しかも、資本家は役にたたなくなった労働者は、ぼろ屑のようにほうり出す。初期のプロレタリア文学は、いずれもこの事実に対する激しい怒りから出発しているが、この作品はそれだけではなくて、この資本主義社会の犠牲者たちが暗黒の底辺で手をとりあい、助けあって生きる、連帯と相互扶助の姿を描き出している。
ブルジョアの非人間性とプロレタリアの人間性が象徴的に表現され、鮮明にプロレタリア・ヒューマニズムを打ち出してている｡
『海に生くる人々』も、嵐の中で働いていて負傷したボーイ長に対する非人 間的な取り扱いが発端である。
｢労働者は、生きたまま、何万馬力の電動機に よって運転されている『挽き肉器』のなかへと、スクルーコンベーヤで運び込まれるのだ｣
「こうして、賃金奴隷は最後まで、人間でありたいという希望と 努力を挽き砕かれて、無機物か何ぞのように、ブルジョア文化の路傍へほうり出されるんだ」
と作者は書いている。
波田は船長に対して｢畜生！」という｡
「尊い人間の生命を等閑にしたのは、どいつだ！ボーイ長でも、父と母とから生れて、人間としての一切の条件を貴様等と些も異る処なく、具備しているんだ！それだのに、どうだ！ボーイ長が負傷してから、一度でも、貴様は、彼のことを考えたことがあったか、貴様に人間の生命を軽蔑することを誰が許したんだ！」
と夢中で叫ぶ。
｢人間を、軽 蔑する権利は、誰もが許されていないんだ。又、他人の生命を否定するものは、その生命も否定されるんだ！」
作者は、この波田の様子を「睨み殺しでもしそうな眼付で船長を見据えていた。それは、全で燃える火の塊のように見えた｣ と書いている。
ここには長い間人間として扱われて来なかった労働者階級の激しい怒りの爆発がある。労働者の言葉としては、生硬で理屈っぽ過ぎるが、波田は資本論を読む青年であった。理論は難しくてよく分からないが、そこに引用された労働者の実情を示す実例は、そっくりそのまま自分達のことなので、大変よく分かるという。生活の現実そのものから噴出する激しい感情と社会科学の理論が結び付いて、独特の言語が生み出されている。そこに『海に生くる人々』の魅力があった。
『海に生くる人々』の労働者たちは、さまざまな過去を持って万寿丸に集まって来たが、社会の下積みとして、少しも人間らしい扱いを受けず、貧困と窮乏に喘ぎ続けて来たことでは共通していた。彼らは負傷したボーイ長に自分達の運命を見た。
自分達の生活は自分達で守らなければならぬ。そして、自分達の生活を守るためには、無慈悲に自分達の生活を破壊して顧みない苛酷な資本主義の圧制と戦わなければならぬ。労働者階級の人間的自覚は階級的な連帯意識、社会的階級的な闘争と切り離すことが出来ない。労働者階級の文学は階級闘争を主題としただけでなく、階級闘争の一環として発展する道を歩んだ。
３
一九二七(昭和二)年四月、若槻内閣が「対支政策の破綻と破産銀行の救済不能」のために総辞職し､｢シベリア」と呼ばれる「シベリア出兵問題の責任者、機密費事件で国民の脳裡に鮮やかな政友会総裁田中陸軍大将」が、後継内閣の首班として登場した。
『太陽のない街』はこの政変を、日本が侵略戦争の道を一歩大きく踏み出し、国民生活に対する圧迫がいっそう強化される暗い時代のはじまりとして描き出している。
田中内閣成立直後に、緊急勅令で金融モラトリアムが実施され、居留民保護を理由に中国山東省に出兵する(第一次山東出兵)。また、東方会議が開催され、中国侵略の基本政策が決定されるのもこの年六月のことである。
徳永は、この「軍閥地主党」といわれる政友会の田中内閣にとって、もっとも重要なのは
「帝国主義にとって危険なる『思想の悪化』を防ぐための『思想善導』であった。憎むべき共産主義の撲滅であった」
と書いている。
｢中小銀行の破綻は、中小資本家の没落となって、失業者は、驟雨を喰った河水のように都市に農村に氾濫した。暴動に等しい小作争議、大規模な労働争議は相ついで起った。そしてそれは、従来の争議に比して、ことごとく悲惨な結末であった。憂うべき新記録だけが累加されていった」
と、徳永は昭和初頭の日本の状況を書き、田中内閣がこの危機を戦争と弾圧の反動政策で乗り切ろうとしたことを書いている。そして労働組合の右派幹部はこの反動の動きに対応して、ますます反共と分裂の政策を強め、戦争協力の道を歩いたのである｡
こうして一九二八年の三・一五、一九二九年の四・一六と相次ぐ弾圧が来た。反戦文学といえば、直接戦争や軍隊を描いた黒島傳治の「渦巻ける烏の群」などを思い浮かべやすいが、それだけではなくて、こうした戦争政策遂行のための弾圧に対する戦いを描いた『一九二八年三月十五日』や『太陽のない街』などをはじめ、昭和のプロレタリア文学は、全体として帝国主義戦争反対の反戦文学であった。
『太陽のない街』に、労働者農民党の臨時大会の様子を描いた場面がある。中華民国上海総工会のメッセージを朝鮮人労働者が読み上げ、｢打倒帝国主義、 打倒軍閥主義……」という所まで来ると、警察が「中止ッ」と叫んで飛びかかるのである。
被圧迫諸民族の労働者との連帯の問題は、帝国主義戦争反対と並んで、プロレタリア文学運動の中心課題であった。
朝鮮人労働者の問題は、初期プロレタリア文学からしばしば取り上げられているが、この時期には、黒島傳治のシベリア物や、里村欣三の「苦力頭の表情」などのほか、伊藤永之介の「総督府模範竹林」「平地蛮人」「万宝山」など、朝鮮、台湾、満洲など被圧迫諸民族の問題を扱った注目すべき諸作品が発表された。
とりわけ、黒島傳治の「武装せる市街」は済南事件に取材して、日本を食いつめて大陸に渡り、麻薬販売人となったみじめな家族の生活や、密偵の謀略活動を描き、日本の中国侵略の内幕をあばきだしている。
田中内閣は三・一五の大弾圧の直後、四月一九日に第二次山東出兵を行い、五月三日にいわゆる済南事件がおこった。そして六月四日には有名な張作霖爆殺事件がおこっている｡
このような恥ずべき侵略戦争に反対して、生命を賭して戦い、被圧迫諸民族に対するプロレタリア国際主義の精神を貫いたプロレタリア文学の成果は、日本人がアジア諸国民と連帯を強めて行く上で貴重な遺産である。
侵略戦争の拡大と、国民生活の破壊、そしてこれと戦う解放運動に対する弾圧、天皇、国家、戦争を三位一体とする絶対主義的天皇制思想の強化は比例している。
それらはすべて、資本を破滅から救うばかりでなく、平時では考えられないような巨大な利益を実現するために推進された。
『蟹工船』の浅川は「日本帝国の大きな使命」を強調し、愛国心を煽りたてて、「監獄だって、これより悪かったら、お目にかからないで！」というような、「糞壷」のひどい生活と、苛酷な労働を強制する。
「いやしくも仕事が国家的である以上、戦､争､と､同､じ､なんだ。死ぬ覚悟で働け！馬鹿野郎！」
と怒鳴 りつけるのである。そして、病人の学生を鉄柱に縛りつけて「不忠ナル偽病者」という札を下げさせる。ついに労働者が耐えられなくなって立ち上がると、護衛の駆逐艦を無電で呼び寄せ、着剣した水兵によって蹂躙し、軍艦に連れ去られる代表たちを､｢不届者」｢不忠者」｢露助の真似する売国奴」と罵倒する。
『不在地主』の多喜二は、絶対主義的天皇制イデオロギーの浸透をはかり、軍国主義化を推進しようとする動きを描く一方で、演習で稲を踏みにじる軍隊を描き、損害の申告に対して
「日本国民として、この位の損害をワザワザ申告するなんてあるか」
「帝国軍人のためだといって、申告しない百姓さえあるんだぞ」と言わせて
いる。
『蟹工船』で帝国海軍は自分達の味方だとばかり思っていた労働者が裏切られたが、『不在地主』では、軍隊が農民の騒動を鎮圧に来ることがあるかも知れないと兵士の一人に語らせている｡
｢あんまり内地で、所々に農民騒動が起るんで、今度の演習だってその下稽古かも知れないど」
というのである。
米騒動や関東大震災の記憶はまだ新しく、小樽高商の軍事教練反対事件は配属将校が､｢不逞鮮人」鎮圧の想定をしたことに端を発していた。
鹿地亘も 「兵士」で軍隊が人民に銃を向ける問題を取り上げているが、同様な問題はほかにも多くの作家が書いている。軍隊に対する国民の関心を強め、軍の力を国民の間に浸透させようとする傾向に対して、軍隊の本質を暴露したのである。
『不在地主』では､｢Ｓ相互扶助会」の発会式に旭川師団から軍人が出席し、「農村に於ける軍人的精神」という講演をして､｢軍隊に於ける厳格なる秩序、正しい規律、服従関係」を強調し、この精神は「広く農村にも浸潤されなければならない」と説いた。
ことに「外来悪思想」が青年をとらえ、「この尊い社会秩序を破壊」する危険に対して、益々健全な軍人精神が要求されるというのである。
この発会式の「開会の辞」では､｢この危機にのぞみ、我々一同が力を合わせ、外、過激思想、都会の頽風と戦い、内、剛毅、相互扶助の気質を養い、もって我Ｓ村の健全なる発達をはかりたい微意」というような、農民の日常言語から遠くかけ離れた言葉が語られる｡｢聞きなれない、面倒な熟語が、釘ッ切れのように百姓の耳朶ﾐﾐﾀﾌﾞを打った」と小林は書いている｡
三・一五事件で共産主義者を、極悪非道の恐ろしい国賊と大々的に宣伝した政府は､｢思想善導」のカンパニアを全国いたる所で繰り広げ、天皇崇拝、戦争讃美の国家思想を国民に押しつけようとした。
小林が、これらの言葉が農民の生活から出たものでなく、外から持ちこまれた「聞きなれない、面倒な熟語」の羅列だったことを強調していのは、昭和の日本を支配した国家主義や、天皇信仰の問題を考える上で重要な指摘である。
壷井繁治の「踏みつけられる麦」は、農村の現実に密着して、直接この問題を追究している。兄が共産党事件で逮捕されたために、村の補習科の女教師をしている友枝は、周囲の意地悪い目や噂に苦しめられ、××村正義会なるものから､
｢国賊とも云うべき大悪人の妹として、苟くも一村の子女の教育者たることを遠慮して貰いたい」
という辞職勧告を受ける。
婦人修養会だとか思想善導会だとか、後藤静香の希望社の支部だとかが新しく出来て、友枝はいろんな会に引っ張り出された。
どの講師も「千遍一律の調子」で日本の国体の有り難さを説き、共産党はならず者の寄り集まりだとか、下々の者がずるくなって「外来思想にかぶれて社会主義者など」になり、金持ちばかりいじめるなどと言った。また、この村からは実になげかわしい､｢憎んでも余りある人間」を出したから、この「不名誉」をそそぐような立派な人間にならなければならないなどと言って、パンフレットの押し売りをした。
友枝の母親は、
「兄やんがあんな事さえせなんだら、こんな肩身の狭い思いもせんのに、極道奴が……」
と言う。国とか警察とかを絶対的なものに思う村人は、友枝の兄を盗人か人殺しでもしたように噂した。狭い保守的な村の中に閉じこめられて、息子の思想を理解する術もない母親は、ただただ村人を恐れ、
と嘆く。村人に依存して生きるしかない家族は、村人にのけ者にされては生きて行けないのである。
醤油屋の村長は、どの会合にも顔を出して、都会の悪習が流れこんで、嘆かわしいとか、渡り者の職工には相当の危険人物も潜り込んでいるらしいから、そういう連中の扇動に乗らず、再び友枝の兄のような人物を出さないのが村民の義務だとかいうようなことしゃべってまわった。
共産主義者に対する弾圧は、村人の地主や資本家に対する不満や反抗を押えつけ、崩壊しかけた封建的な旧勢力の支配を維持するために利用されたのである。
満洲事変が開始されると、この傾向はさらに強まる。事ごとに戦争を持ち出し、非常時を強調して、低賃金と労働強化が強行された。産業合理化によって熟練工が不要になり、臨時工がどしどし採用されて、労働条件を悪化させた。
軍隊に徴集された労働者の生活は保証されず、家族は路頭に迷い、帰還しても職場がなくなっている。
高見順の「オシャカ」「雨」「反対派」、大江賢次の「軍需工場」などは、こうした戦時下の職場の問題を積極的に取り上げ、困難な情勢にも屈することなく戦い続ける労働者の姿を描き出している。
戦争に対する戦争は戦場や軍隊内部にのみあるのではなく、国民生活のいたる所にあった。特にほとんどすべての生産が軍事的意味を付与され、軍需工場として、直接軍人が工場に乗り込んで支配するようになると、これまでになかった多くの問題が発生し、これを描く作品世界も急激に拡大した。
帝国主義戦争反対の観点から、プロレタリア文学の新しい発展が求められたが、この意味でも小林多喜二の果した役割は大きい｡
『工場細胞』『オルグ』『沼尻村』『地区の人々』などは、いずれも戦時下において急速に変貌し、発展する労働者農民の戦いを、その最先端において描き出すものであった。
最後の作品となった『党生活者』も、このような作品の最もすぐれたものであった｡
『党生活者』を巡ってはさまざまな論議があるが、この観点からの評価を見失ってはならないと思う。
戦争と軍隊が国民生活を全面的に支配した時代に生きる国民の生活を、プロレタリア文学はまざまざと描き、特にあらゆる困難の中で、さまざまな形で展開されたプロレタリアの戦いを描いたことの意味は大きい。
プロレタリア文学を無視して、戦時下の国民生活を明らかにし、天皇制の本質を解明することは、何人にとっても不可能である。
２
プロレタリア文学が飛躍的な発展を遂げた昭和初年は、日本資本主義の矛盾が激化し、相次ぐ不況と恐慌によって大量の失業者が出た時代であった。
日本資本主義は｢産業合理化｣や緊縮政策によって労働者に対する搾取を強めるとともに、一方で破滅からの脱出の道を中国大陸に対する侵略戦争に求めた。
資本家地主の勢力は、自分達が始めた戦争であるにもかかわらず、｢非常時｣という言葉を作り出して、苛酷な搾取と国民生活の破壊を強行し、天皇のため、国のためと称して、国民を戦争と死に駆り立てた。
このため、生活を守り戦争に反対する労働者農民の闘争が急激に発展したが、政府は治安維持法を制定して、これを徹底して弾圧した。
治安維持法によれば、労働運動、農民運動ばかりでなく、言論、思想、文化の各方面にわたって、随時警察が介入し、弾圧することが出来る。
日本は全国的に整備された特高制度によって、組織的な警察力の優秀さだけでなく、その野蛮な拷問によっても、世界に知られる警察国家であった。
戦争に反対し、国民の生活と人間的自由を守ろうとする限り、天皇と国家と戦争を名とする国家権力の残酷な弾圧を免れることは出来なかった。
治安維持法の制定は一九二五年のことである。昭和という時代は、人民を弾圧する治安立法と警察制度の整備拡大から始まり、戦争の時代として発展し、戦争によって天皇の絶対化が急速に進んだ時代である。天皇と国家と戦争を三位一体として絶対化し、これに反対するものを、国賊、不忠者、非国民として弾圧しつくす警察国家が昭和の天皇制である。
プロレタリア文学運動は一貫して、この天皇制国家権力の弾圧に対する闘争として発展した。
ナップは一九二八(昭和二)年三月十五日の治安維持法による大弾圧の渦中に成立した。小林多喜二は、この弾圧の実態を生々しく描き出した『一九二八年三月十五日』によってプロレタリア文学の作家としての道を歩き始めた。
そして五年後の一九三三年、同志の作家たちの大多数が検挙されるという苛酷な状況で、作家同盟書記長として地下から運動を指導する活動中に逮捕され、自分の作品に書いた通りの残虐な拷問を受けて、その日のうちに虐殺された｡
このため『党生活者』は前篇だけで未完のまま残されたが、この最後の作品で多喜二は、警察の苛酷な追及を受けながらも、地下から、戦争と首きりに反対する軍需工場の闘争を指導する共産党員の厳しい闘争の日々を書いている。
多喜二の死後、やがて作家同盟は解体を余儀なくされるが、それはまた、日本国民が総体として、雪崩を打って戦争の渦に押し流されて行く時代の始まりであった。
いうまでもないことだが、共産党に対する弾圧は単に共産党だけの問題ではない。佐多稲子は｢女店員とストライキ｣で、ある書店で働く未組織労働者の争議に対する三・一五事件の影響を書いている。
一応店員側の勝利に終わったストライキの後、ひと月ばかりで中心人物が首になり、引き続き二カ月ほどの間に十人ばかりの者が次々に止めさせられ、主人側は労働条件改善の約束も踏みにじる｡
｢店員側にとって最も悪かったのは、その時突発した某重大事件」だった。
｢共産党検挙さえなけりゃ、私たちまた争議やったのよ」
と、十五才に過ぎない女店員たちは語り合う。共産党に対する弾圧は労働者階級全体に対する弾圧であった。
徳永直の『太陽のない街』は、作者自身が体験した一九二六年の共同印刷の争議を素材としているが、一九二七年の金融恐慌や若槻内閣の総辞職、軍閥地主党といわれる政友会の陸軍大将田中義一内閣の成立、山東出兵など、昭和初頭の緊迫した政治経済情勢を折りこみ、昭和という時代の始まりを労働者の側から描き出した記念碑的作品である。
冒頭は、やがて昭和の天皇となる摂政宮殿下の高師行啓の場面である。交通が遮断され、警官が人垣を作るものものしい警戒、そこに大同印刷の争議団のビラが投げ込まれる。
作者の説明に頼ることなく、作中人物の言動や、ビラ、号外、組合その他の決議文等々、多様な言語の組み合わせによって、ダイナミックに作品は展開される。
個人が世界の中心ではない。個人の過去の光栄や想念を乗り越えて歴史は発展する。階級と階級が激突し、昨日正しかったものも、今日は誤りとなる。そのような激動する階級闘争の現実を描き出すために、『太陽のない街』は新しい創作方法と文体を切り開いた。
文体の問題を作品の主題から切り離して考えることは出来ない。
これまでは個別資本の利害の対立が、労働者側に有利な展開をもたらしたのだが、今度は、資本の側は個別の利害を乗り越え、堅い結束によってあくまでも対決の姿勢を崩さず、組合は評議会の指導の下に、多様な戦術を駆使して戦うが、勝利を得ることが出来ない。
一九二四年の闘争に勝利して今日の組合を築きあげた経験はもう役にたたなかった。過去の栄光にしがみつく古い幹部は
容赦なく没落させられた。
好況の時代には労働者が団結して要求すれば、賃上げも労働条件の改善も出来た。しかし、不況が続き、繰り返し恐慌に襲われる資本主義の危機の時代である。資本の側は、単なる経済的利害の枠を超えて、左翼分子の摘出追放による戦闘的な労働組合の破壊を目指して結束した。
資本家陣営は密偵を使い、流言を流して組合の切り崩しをはかり、放火騒ぎや、暴力団による流血騒ぎを起こして警察力を導入した。争議弾圧のために手段を選ばなかったのである。
さらに、王子製紙、凹版印刷、日清印刷、日本電線などで、一斉に評議会系統の組合員を馘首して工場から締め出し、先手を打って争議の戦端を開いた。 もはや、単なる経済闘争の枠を超えた労資の激突であった。
こうした状況で同盟の右翼幹部は、労農党から左翼を追い出し、労働戦線を分裂して、労資協調の道を歩もうとしていた。
徳永は一工場の争議を、昭和という時代とともに始まった巨大な政治的経済的な転換のうねりの中に描き出そうとした。しかも、それを労働者の生活の現実に密着して描き出そうとした。
徳永は、組合幹部の右翼的傾向ばかりでなく、労働者の内部に根強く残っている古い封建的な意識や、それにもとづく新旧の世代的な対立矛盾の問題を追究した。
また、争議中の労働者の苦しい生活、そのために身を売る若い女の苦悩、闘争を裏切って会社につくスパイ集団の問題などを描き、多くの矛盾を抱え込んだ労働者内部の諸問題を追究している。
徳永はまた、『小資本家』や『約束手形三千八百円也』などで、不況と大企業の産業合理化に追いつめられ、破滅させられる中小工場主たちの苦悩を描いた。
大企業が導入する最新の機械は、中小企業を破滅させただけではなくて、労働者の賃金低下と大量の首きりを必然にした。
そのために、これに反対して戦う戦闘的労働組合のメンバーを、次々に人目につかぬように、警察の手で工場から排除するが、その武器となったのが、治安維持法であった。
『約束手形三千八百円也』は追いつめられた中小工場主たちの矛盾と苦悩と破滅を描き、日本資本主義の危機を極めて具体的に幅広く描き出した注目すべき作品である。
破滅した中小工場主の一人は自殺し、一人は戦闘的労働組合の働き手になって、大資本との戦い、社会主義の道を歩き、警察に捕まる。
追いつめられた中小工場主たちは、大戦当時の華やかな過去を思い、戦争が始まったらなぁと言いあうが、日本資本主義は労働者の生活を破壊し、中小資本を破滅させながら、危機からの脱出の道を産業合理化と戦争に求め、これに反対して戦う者を、治安維持法で徹底的に弾圧した。
長びく不況と恐慌は農村経済も破滅させた。中小地主は破滅に瀕し、全国的に小作争議が広がった。
谷口善太郎は「綿｣｢恐慌以後」などで、農村経済と農民生活の破壊の現実を追究し、長い封建的奴隷的屈従の生活から起ち上がり､ 農民組合を結成した小作農民の激しい戦いを描いた。
谷口は貧農の子として生まれ、少年時代から中小企業の労働者として働き、労働組合運動に草創期から参加した。この半生の体験に基づいて、小作農民の悲惨な生活の歴史をたどり、戦わなければ生きて行けない現実に直面した農民が、プロレタリアの戦いの高揚に鼓舞されて、封建的な重圧の下から起ちあがる姿を、深い感動をこめて描いている。
狭い世界に閉じこめられていた彼らは、戦いの中で全国的な労働者農民の闘争に眼を開き、急速に人間的階級的な自覚を発展させ、日本資本主義を根底から揺るがす戦いを展開した。
谷口は地主小作制度の基盤に立つ資本家の封建的な実態をあばきだし、奴隷的労働からの脱出を求める青年労働者の遍歴を通して、封建的な基盤に立つ日本資本主義の本質に迫った。
小作制度の苛酷な封建的搾取、その奴隷的労働と絶対的な貧困が日本資本主義の基盤であり、労働者の低劣な労働条件の根源であった。
『清水焼風景』は、産業合理化の波の中で破滅に瀕する中小陶器工場の労働者の、生存のための必死の闘争を描いているが、それは個別資本の枠をこえた政治闘争に発展せざるを得なかった。谷口は農村出身の素朴な青年労働者の眼で、この戦いを描いている。
彼は闘争の中で急速に人間的階級的な成長をとげ、新しい眼で自己の生涯を振り返る。
日本の労働者のほとんどが貧農の出身である。日本の資本主義と労働者階級の発展を、封建的な地主小作制度の基盤の上に追究し、労働運動と農民運動の結合を主題とした谷口の作品は、日本の天皇制の本質に迫ろうとするものであった。
（「民主文学」８９年８月） 次へ ホーム