「東倶知安行」から「党生活者」へ　　　　　         トップ  前へ　ホーム 次へ

  一九二八年二月二十日、日本で最初の普通選挙が行われた。男子だけではあるが、長い戦いの結果、はじめて国民が獲得した権利であった。この選挙に日本共産党は労農党から有力党員を立てて戦い、北海道の候補者は山本懸蔵だった。

  小林多喜二はこの選挙ではじめて実際運動に参加した。「東倶知安行」はその記録である。多喜二はこれを「一九二八年三月十五日」発表の直後に書いている。

「一九二八年三月十五日」に描かれたのは、外部の生活から切り離され、孤立させられた一人一人が密室で凶暴な権力と対峙し、精神と肉体の限界まで戦う苛酷な戦いであった。書き手はまざまざとその拷問の痛みを感じ、読者の心に刻みつけるように書いた。

  ながくつづく不況からの脱出を戦争に求める動きが強まっていた。平和を守り、国民をこの苦しみから解放しようとすれば、国家権力による凶暴な弾圧と戦わなければならない。「一九二八年三月十五日」を書き、それを発表したとき、多喜二はその戦いの道を行くことをはっきり心に決めた。そしてあらためて、自分がはじめて選挙の戦いに参加したときの感動を思い起こし、「東倶知安行」を一人称で書いた。

＜私＞は若い銀行員である。会社にわかれば、それだけですぐ「首」なので、「首」を賭けて毎日組合に出入りし、毎晩一時過ぎ、寒気の中を一里以上も歩いて帰ったが、「裏」の仕事しか出来ないことを歯がゆく思っていた。＜私＞の月給には六人の親子がブラ下がっており、生活のために、思う存分に働けないのが悲しかったのである。

  そんな＜私＞が、欠員が出来て倶知安で演説することになった。多喜二ははじめて直接大衆に呼びかける感動を書いている。途中であう人たち、労働者や農民が、自分がよびかける相手として、これまでとはちがった深い結びつきで感じられた。そして、仕事を求めて移動する朝鮮人労働者の群れに強い関心を寄せている。

  銀行に閉じ込められ、小心翼々として暮らす日常生活から解放されて、日本の現実そのものと向き合い、自分の思いを人々に直接訴える。政治に支配され、現実に翻弄される人間から、政治の主体になり、現実に働きかける人間へ。そこに青年多喜二の新しい出発があった。

  多喜二の死は一九三三年の二月二十日、第一回普選と同じ日のことである。この五年間は日本が戦争に突き進んだ五年であり、弾圧の五年であった。多喜二は弾圧に抗して激しく戦い、戦いによって急速に成長した。

「党生活者」が書き上げられたのは一九三二年八月であるが、前年の六月に満洲事変が始まっている。三二年三月には文化団体に対する大弾圧が始まり、多喜二は地下に潜って活動しなければならなくなった。

「党生活者」はこの＜満洲事変＞突入直後の軍需工場の戦いを描いている。毒ガス戦のためにガスマスク生産を急ぐ会社は、大量の臨時工を雇い入れ、長時間の苛酷な労働を強いた。労働者の不満と反抗をおさえるために、会社は青年団や在郷軍人会を動員して＜非常時＞を強調し、＜お国のため＞に我慢せよと宣伝し、愛国心を高揚するために「慰問金」の募集をはじめた。

  労農大衆党系の「僚友会」も、今度の戦争は失業をなくす点で労働者のためになっていると説き、青年団や在郷軍人会といっしょになって動きはじめた。いまは警察だけではなくて工場内のこれらの勢力が、戦争に反対する動きを監視し、孤立させ、追い出そうとしていた。

  多喜二は一つの工場の具体的な現実を追求して、戦争の本質をあばき出した。戦争によって資本家がいかに搾取を強め、大儲けをしているか。戦争がいかに労働強化をもたらし、労働者の生活を破壊するか。これに反対して労働者の利益を守ろうとする戦いを、彼らがいかに国家の名において弾圧しようとするか。

  多喜二は戦争に反対する戦いの先頭に立ち、困難な非合法活動をつづけ、戦争の本質に迫る作家としての活動を展開した。実践によって新しい現実を発見し、深い感動をもってそれを描き、作家として成長した。

  多喜二の没後七十年、いままた戦争によって深刻な政治的経済的危機からの脱出をはかろうとする動きが強まっているとき、多喜二の文学は新しい意味をもってよみがえって来る。

                                                                           「赤旗」2003年1月10日