セルマの歌

  コルマ                    
 暮れ果てゝ、わびしくも、あらしの皐(をか)に一人。峰に聴く風の音、岩を下る早瀬。雨凌ぐ軒端もなく、風吹く皐に一人。
 昇れ月、雲の底より。出よ夜の星。導きの火影もなきか。狩り暮れて独り居(お)はす君が方に。絃張らぬ弓の傍、喘ぎ臥す犬の中に、独り居はす君。高く鳴る瀬、高く鳴る風。思ふ人の声を聞き得ず。わがサルガアの帰らぬは如何に。山に入る強つはものゝ誓。巌はこゝに、木もこゝに咽ぶ流れもこゝにこそ。こゝに今宵帰らんと警ひし君はいかに。わがサルガアの行末はいづこ。君とならば行かんものを、父を棄てゝも。心奢る兄を棄てゝも。讐(あだ)あるは家と家、敵ならぬ君と我は。
 吹く風もしばし落居よ、逝く水もしばし停まれ。吾呼ぶ声のこだま起して。帰らぬ人のわれを聞く迄。呼ぶはコルマ。木もこゝに、巌もこゝに、妾もこゝにあるを。君はなどて帰り来まさぬ。見てあれば、静なる月こそ出づれ。冷かに谷を浸して、山の端に巌黒し。巌角に君見えず。君近づくと告ぐる犬なし。こゝにわれ一人あらばや。
 佇む片辺(かたへ)、荒野に伏すは誰(たが)影ぞ。あらずや君とわが兄人。語り給へ。コルマなるに、コルマには答へ給はず。語り給へ、独り居れば恐ろしき我に。あなや佩けるつるぎ太刀、斬り結びけん、紅(くれなゐ)深し。生きてあらぬか、君もいろねも。なつかしき人と人、互に断ちし玉の緒ぞあはれ。誉れ多き二人の為に、何を語らん。居並びて秀でたるは岡の上なる君が眉目。戟(ほこ)とりて起てば壮夫(ますらを)。向ふ方に
敵なしと見しは吾兄。語り給へ、聴き給へわが声を、いとしき人よ。いとしき人は語らず、長へに語らず。土の如く冷え尽したる胸のほむらよ。語れ亡き魂、邱(をか)に姿ゆる岩の間より、風の吹くなる
蜂の上より、われは怖れじ。逝け名人の休らふ慧いづこ、いづこなる洞の裏にて君と梢鬼ん。風のもたらす声もきかず、あらしの奪ふ答だになし。               悲に埋もれてあり、涙ながらに明くる夜をまつ。亡き人に塚立てよ亡き人の友。土な掩ひそ我来(こ)んと思へば。夢の如く去る吾命、生残る甲斐もあらず。吾友とこゝにあらばや、岩咽ぶ河のほとりに。山暮れて風高き宵、風の裡にわがまぼろし見えて、恋しき人の逝けるを泣かん。狩小岸に狩人ありて吾をきかば、吾をきく狩人はわれを恐れん、去れどまたわれを恋ふべし。人の情けを泣く声なれば、そのかみうけし人の情けを。

 ライノオ
 風落ちて雨過ぎぬ静なる午(ひる)の気合(けはひ)。断切(ちぎ)れし雲の空に動きて。落つる日影の定かならず。石多き谷をめぐりて、赤き流は山より来る。床しきその音、ゆかしきこの歌。うた人は昔し忍ぶ「アルビン」。年老いてうなじ重く、涙ありて眼赤し。あはれうた人。物言はぬ丘の上に独り立ちて、梢ふく峰の嵐、わびしき岸に寄せては返す、波の如くに訴ふる君は何故。

  アルピン
泣くも亡き人のため、うたふも逝くものゝためぞ。山に立てば高き君が脊、谷に入れば清き君が目、朽ちざらめやはモラアの如く。なき君が墳〔はか〕の上に、弔ふ人の倚らで已むべき。山々も君を忘れん、絃断(き)れて君が弓張らで朽つべし。
 あはれモラア、疾きことは枯野原かける女鹿、鋭さは熱ひきて飛ぶ星の光。憤怒のなれはすさむあらし。太刀振るなれは冴ゆる稲妻。なれの声音(こはね)は雨ふりて逆招く流、又遠山にひゞく鳴神。なれの剣多くの人を斬りて、猛火の怒あまたの敵を焼けど、戦やんで帰る時、汝の眉根にかゝる雲なし。
雨は洗ふ日の光、物静かなり月の色、風逆はず湖の面、しかく見えけりなれがかんばせ。
狭からんなが住居、暗からんなが臥床(ふしど)。昔ありてふ偉丈夫の、三歩に足らぬ墓にすくみて、なれのかたみに残るものは、苔をいたゞく四つの石のみ。枝に葉を見ぬ一本の樹、風に暗く高き革、猟人ならで誰か知らん、猛かりしなれが此墓。
 あはれモラア。果敢なきもことわり。弔ふ女親なく、音を泣く乙女もたず。なを生みし女遠くゆきて、なを慕ふモオグランの女(め)の子帰らず。         
 杖に倚るはなが父、齢朽ちて髪白く、涙湧きて眼あかきなが父、運ぶ歩み危(あや)しくもわなゝくなが父、なれより外に子なきなが父。父は聞きぬ誉(ほまれ)得し汝(なれ)。父は聞きぬ敵追へる汝。聞かざりき深手負ひし汝を。父は泣けど、泣けど父は、耳傾くる子を持たず。亡者の眠りふかく、土塊の枕わびし。泣けど聞かず、呼べども起たず。冥土に明くる朝なくして、眠れる者長へに覚めず。去るからに、永き訣(わか)れぞ、逝ける壮夫、戦の野に敵屠りて逝ける壮夫。戦の野になが影消えて鎧の絨小暗き森を照さず。なれに子なし。なれを伝ふるは歌。其歌に後の世はなれを聞くべし、逝けるモラアを。(オシアン)